武力メモ イギリスの近接格闘術の歴史

イギリス海兵隊員だったフェアバーンは、上海自治警察に勤務するために1907年上海に渡る。上海滞在中、天皇日本武術を指導したと称するオカダなる日本人から真之神道流 柔術を学んだ。フェアバーン柔術修行の一環のとして講道館柔道も学び、二段位を受けた。また、中国皇帝の護衛兵を訓練指導していたと称する中国人から中国武術も学んだ。
さらに市街地戦や屋内戦に適した射撃術も編み出し、上海市警察内にSWATの原型ともいえる内容の部隊を編成した。

1940年に部下で格闘術の弟子でもあったエリック・サイクスを連れてイギリス本土に戻り、陸軍大尉となり、サイクスとともに特殊部隊、諜報機関、軍の一般部隊などで格闘術を含む近接戦闘戦術を指導した。その間に、より実戦的な「サイレント・キリング」(無音殺傷法)を編み出した。

上海自治警察時代にフェアバーンからディフェンドゥーを学んだダーモット・M・オニールはアメリカに渡り、ディフェンドゥーに独自の改良を加えた「オニール・システム」を、現在のグリーンベレーの源流である第1特殊任務部隊で指導した。

1942年アメリカ合衆国諜報機関OSSCIAの前身)の教官として招聘され、OSSで指導する。この時期に、フェアバーンの代表的な弟子で、のちに近接戦闘の世界的権威となったレックス・アップルゲート(当時、陸軍中尉、OSS教官)を指導した。

現在でも各国の軍隊では、「フェアバーン・システム」に他の格闘技武術の技を加えるなどの改良をした内容のものを軍用格闘術として採用していることが多い。