武力メモ イスラエルの近接格闘術の歴史

歴史

初期

クラヴ・マガの原型となる技術は、ハンガリーで生まれスロバキアで育ったユダヤ人イミ・リヒテンフェルドによって考案された。イミはボクシングレスリング、体操など様々な競技においてヨーロッパチャンピオンのタイトルを手にした優秀なアスリートだった。また、警察官である父は他の警官に戦闘・護身技術を指導をしており、イミは父から直接、実戦的なストリートファイトを学んでいた。イミはその技術で当時紛争状態にあった東ヨーロッパで数々の仲間の命を救い、さらにその技術を体系化してブラチスラヴァ在住のユダヤ人らに、ファシズム信奉者の暴漢らに対する防衛手段として教えていた。

イミは、イスラエル建国前にイギリス委任統治領パレスチナに移り住み、ここでユダヤ民兵組織ハガナーに近接戦闘術を教え始めた。イスラエル建国後は、クラヴ・マガとはイスラエル軍・警察に教えられる近接格闘術を指す一般名詞を意味していた。イスラエル移住後、イミは自らの姓をヘブライ語に訳し、スデ=オーと名乗った。イミは、教官として勤めていた軍から退職後は、市民への指導を開始した。こうして、一般的に知られる護身術としてのクラヴ・マガが発達した。

イスラエル国外への普及

1980年までは、クラヴ・マガのエキスパートはイスラエルだけに住んでいたが、興味を持つアメリカ人との間にて交流が始まったのが、国外への普及開始時期とされている。

1981年、6人のインストラクターは、主にユダヤ人のコミュニティセンターにてデモンストレーションのために渡米した。このことが、FBIのニューヨーク支局やトレーニングセンターでのデモンストレーションに繋がった。その結果、同年夏には、基本的なインストラクターの訓練コースに参加するため、アメリカからイスラエルへ22人が訪問する結果となった。そのコースの卒業生が帰国し、それぞれの地元でトレーニングセンターを立ち上げた。また1984年には追加の候補生がイスラエルを訪問し、インストラクターになるために1986年に再訪した。同時期、イスラエルからのインストラクターが訪米を重ねていた。

1985年よりアメリカの警察関係者向けのトレーニングが開始した。

創始者 の死後

イミの死去後、多数の流派・協会が世界中で誕生した。誰がイミの真の後継者か、『クラヴ・マガ』という表現が特定の武術を指すのか、もしくはボクシングのように『クラヴ・マガ』という表現は商標登録されていないなど、激しい論争が続いているが、現在、一般的に10の主流クラヴマガ統括団体が認められている。