武力メモ 韓国の近接格闘術
特攻武術(トゥコンムスル、특공무술、Tukong moosul)とは、韓国の近接格闘術。韓国軍や警察に採用されている。一般向けの道場もあり、民間人も習うことができる。
概説
体のあらゆる部分を武器にする上に、ボールペンやタオルなど身近にある道具も全て武器にするという。
ルーツは1970年代に北朝鮮の攻撃を想定して設立された6つの特殊部隊(韓国では、特殊部隊のことを「特攻部隊」と呼ぶ)において、それぞれの部隊が研究していた柔道、テコンドー、ハプキドーなど6つの武術を統合したものとされる。体格、体力にかかわらず、兵役の短い期間で一定の水準に達することを目標にカリキュラムが組まれている。軍の公開演習などの際にはデモンストレーションが行われるが、顔にペイントしたり火のついた輪をジャンプしてくぐり抜けたりと派手なパフォーマンスが繰り広げられる。
徴兵制度の残る韓国では、俳優や歌手などの芸能人、がプロフィールの中で特技としてしばしばこの特攻武術を挙げることがある。
武力メモ 警視流近接格闘術
警視流木太刀形[編集]
剣術10流派から1本ずつ技を採用して構成されている。諸流派を統合した形という点で日本剣道形の先駆けといえる[注釈 1]。太平洋戦争前には剣道の教本に掲載されることもあり、中山博道のように積極的に修練する剣道家もいた。現在も警視庁の剣道家によって伝承されている。
脛斬りに対する応じ方(八相)や肘打ち(阿吽)など、日本剣道形には見られない技法も含まれている。礼法や木太刀も日本剣道形とは異なり、古式の形態を残している。木太刀は全長3尺3寸(約1m)で刃長2尺4寸(約73cm)、柄9寸(約27cm)、刀身部の断面の形状は蛤刃と定められており、写しが市販されている。
(流派名は警視流の表記に従う)
撃剣級位[編集]
警視流立居合[編集]
居合5流派から1本ずつ技を採用して構成されている。座位の技はなく、すべて立ち技である。現在も警視庁居合同好会[注釈 2]に伝承されている。一部の民間道場でも稽古されている。
警視流柔術形[編集]
柔術は木太刀形、立居合のように各流1本ずつではなく、14流派と諸流併合した技16本で構成されていた。早捕には技の名前が付けられていない。似た技が複数あるなど、木太刀形、立居合に比べると余り整理されていない内容に思われる。柔術形は、警視庁で講道館柔道が採用されたことによって、最も早く指導されなくなった。
(木太刀形、立居合と異なり、元になった流派名を並記する規定はないが、元流派も記す)
- 柄取:天神真楊流と真蔭流より
- 柄止:渋川流より
- 柄搦:立身流より
- 見合取:戸田流と気楽流より
- 片手胸取:荒木新流より
- 腕止メ:起倒流より
- 襟投:渋川流と天神真楊流より
- 摺込:無双流と清水流より
- 敵ノ先:神明殺活流より
- 帯引:良移心頭流より
- 行連レ 左上頭:殺当流より
- 行連レ 右突込:各流合併
- 行連レ 左右腰投:渋川流「四方組」より
- 行連レ 右壁副:揚心流より
- 行連レ 後捕:各流合併
- 陽ノ離レ:扱心流の同名の技より
早捕[編集]
武力メモ 警視流近接格闘術
警視流(けいしりゅう)は、明治10年代に警視庁で制定された武術の形。
木太刀形(撃剣形)、立居合、柔術(警視拳法)からなっていたが、現在の警視庁では木太刀形と立居合のみが伝承されている。
制定の経緯[編集]
明治10年(1877年)に起きた西南戦争での警視隊抜刀隊の活躍によって、剣術の有用性が再認識され、大警視川路利良は『撃剣再興論』を著し警察において剣術を奨励する意向を明らかにした。
明治12年(1879年)、巡査教習所に道場が設けられ、桃井春蔵と榊原鍵吉の審査を経て、撃剣世話掛として梶川義正、上田馬之助、逸見宗助が最初に登用された。その後も真貝忠篤、下江秀太郎、得能関四郎、三橋鑑一郎、坂部大作、柴田衛守など剣客が続々と採用された。
この世話掛たちの出身流派がまちまちな状況であったことから、指導方法を統一するために、各流派の技を選り抜き「警視庁流」が制定された。明治19年(1886年)の弥生祭武術大会の席上で発表されたという。
武力メモ 日本自衛隊の2007年までの近接格闘術
2007年(平成19年)までの自衛隊格闘術[編集]
1959年(昭和34年)に制定された内容は、徒手格闘、銃剣格闘、短剣格闘からなる内容であった(ただし、銃剣については銃剣道も併用)が、2008年(平成20年)の新格闘導入により、現在は訓練されていない。
自衛隊徒手格闘[編集]
自衛隊徒手格闘は、日本拳法をベースに、柔道と相撲の投げ技、合気道の関節技を採り入れた内容で構成されている。
大日本帝国陸軍においては、敵陣に対する浸透戦術を敢行するために銃剣、短剣、軍刀を用いた格闘の訓練が盛んに行われていたが、武器を用いない徒手格闘に関しては、憲兵などの一部の兵科を除いて、自主的に武道を練成することを奨励するのみであった。大日本帝国海軍では、柔道、剣道、相撲、銃剣道を練成することが奨励されていた。
戦後、アメリカ陸軍士官学校に留学した陸上自衛隊幹部が、米陸軍での格闘訓練を見た経験から、銃剣格闘と連係できる徒手格闘術の必要性を陸上幕僚監部に進言した。これを受け、1955年(昭和30年)から研究が開始され、森良之祐(日本拳法協会最高師範)、富木謙治らの協力を得て、1959年(昭和34年)に訓練体系を確立した。
その後、技術の統一と錬度の向上のため、1984年(昭和59年)、全自衛隊徒手格闘連盟が組織され、第1回全自衛隊徒手格闘大会が開催された。以後、大会は毎年開催されている。
自衛隊銃剣格闘[編集]
現在の自衛隊では、旧日本軍の銃剣術を元に、戦後武道として競技化した銃剣道と、戦後に制定された自衛隊銃剣格闘の両方が実施されている。特に、銃剣道の練成は普通科中隊を中心に盛んに行われており、中隊の団結心の向上に一役買っている。
銃剣道の攻撃方法が、銃剣の刃部にあたる先端(タンポ)による刺突のみであるのに対して、自衛隊銃剣格闘は、銃剣の刃による刺突に加え、斬撃、防御、銃床による打撃、銃全体を用いた打撃や刺突して銃を撃つ動作まで含まれる。
自衛隊短剣格闘[編集]
旧日本軍においては日本の古武道の小太刀術を基に制定された短剣術(現在の銃剣道に含まれている短剣道)が訓練されていた。
これに対し、自衛隊短剣格闘はアメリカ陸軍で訓練されていたナイフ格闘術がベースになっているというが、これまで公刊物で公開されたことが無く、詳細な内容は不明である。
武力メモ 日本自衛隊の近接格闘術
現在の自衛隊格闘術(新格闘)[編集]
2008年(平成20年)より新たな内容の格闘術に変更された。この新しい格闘術は自衛隊内では「新格闘」と呼ばれている。
各国の軍・治安機関では、テロ・ゲリラなどの脅威に対処するにあたり、火器を有効に利用できない状況が生起するとの想定で、近接格闘術を編み出していった。一方で、自衛隊での訓練は武道色の強い内容のままで、自衛官の多くは所属部隊の誇りをかけて[要出典]銃剣道に励んでいた。
日本でも、不審船事案により北朝鮮の特務機関が日本国内で対日有害活動を繰り返すなど、テロもしくはゲリラコマンドにより近接戦闘が生起する可能性が高まったことを受け、陸上自衛隊では自衛官が戦闘の最終局面で自己を防衛しつつ任務を達成できるよう、2000年(平成12年)度頃より格闘術全体の見直しを検討した。検討は、陸上幕僚長・森勉が実戦的な徒手格闘の体系を早期確立するよう指示したことにより、本格化した。これにより自衛隊体育学校第一教育課に格闘研究プロジェクトチームが発足し、格闘術の抜本的な見直しを進めた。
技術体系も大幅に見直され、これまでの徒手格闘・銃剣格闘・短剣格闘という分類から、徒手技術・武器技術という分類に変更されている。同時に、実任務に臨む自衛官としての技能と精神力を練成するため、訓練で使用する防具もミズノ社製の軽量かつ着装しやすい防具へと変更された。これは、従来の防具よりも安全性を高め、肉体の損傷を防止しつつ、訓練の痛みだけを与えることができる新機軸に基づいた防具であるが、それでも怪我人は絶えない。
そして、格闘研究プロジェクトチームの研究成果に基づいた新たな格闘術を2006年(平成18年)に第10師団で試験的に導入した。2007年(平成19年)中に教育訓練方法などを検討し、2008年(平成20年)に全部隊で導入された。新格闘の訓練履修対象は、2佐以下の全陸上自衛官であり、実任務に即した技能として勤務査定に導入されている。海上自衛隊および航空自衛隊でも、警務官や基地の警備等を担任する一部の自衛官に限り、任務のために新格闘を習得する。
自衛隊格闘 徒手技術[編集]
かつての徒手格闘に相当する。
徒手技術について現在、具体的な内容は未だ明らかになっていない。明らかになっている内容は、
程度である。
自衛隊では打撃技を当身技という。
基礎技術 徒手格闘の型は下記の基礎技術の組み合わせで成り立っている。
- 当身技
-
- 突き 縦拳での突き。
- 回し打ち フックにあたる
- 揚打 アッパーカット
- 肘打ち
- 前蹴り
- 横蹴り
- 膝蹴り
- 回し蹴り
- 後ろ蹴り
- 投げ技
-
- 首返し
- 左手で敵の右手首を持つと同時に敵の顎を右掌で押し上げ、
- 左足を踏み込んで敵を後ろに崩し、右足を敵の右足に掛けて押し倒す。
- 関節技
- 絞め技
-
- 裸絞
- 送り襟締め
- 十字締め
- 短剣
-
- 刺突
- 逆手刺突
- 小銃
これらは、自衛隊徒手格闘の技のごく一部であり様々な技が存在する。
徒手対徒手、短剣対短剣、短剣対棍棒、短剣対小銃、徒手対短剣、徒手対小銃、徒手対拳銃、小銃対小銃、対複数などは、上記の基礎技術の組み合わせで各状況における対処法が定められている。
武力メモ 近接格闘術についての歴史
歴史[ソースを編集]
軍隊における近接格闘術の起源については、武器を用いた格闘術か、徒手による格闘術かで生まれた時期が異なる。
銃剣術については19世紀より訓練されていた。軍刀(サーベル)を用いる格闘術として、19世紀より欧米諸国ではフェンシングが、日本では伝統的な剣術をもとに独自に制定した軍刀術が訓練されていた。軍刀が実戦目的ではなく儀仗や礼装のためのみに佩用されるようになったことに伴い、多くの国では第一次世界大戦後に軍刀術の訓練は廃止されたが、日本では第二次世界大戦終結まで軍刀術の訓練が行われた。
ナイフ格闘術については、第一次大戦での塹壕戦で狭い塹壕内で白兵戦が生起した戦訓より、同大戦後に生まれた。
徒手格闘術についても、第一次大戦での塹壕戦で狭い塹壕内で白兵戦が生起した戦訓より、同大戦後に生まれた。この時期の徒手格闘術はボクシングや柔道が中心であった(その国の伝統武術の技法も採り入れた国もある)。徒手格闘術は、第二次大戦中にウィリアム・E・フェアバーンによって殺傷技術として洗練された(フェアバーン・システム)。フェアバーンは「サイレント・キリング」(無音殺傷法)を編みだし、連合国各国の軍・情報機関で指導した(フェアバーンは、第二次大戦以前に護身術的な要素が強い「ディフェンドゥー」も編み出している)。